前回に続き、今回はりんあんちゃんの岡山・歴史の旅です。
りんかちゃん、あんなちゃんのお母さまのマツコさんもごいっしょにわが岡山へ。
マツコさんのオフィシャルブログでも紹介されていますので、ぜひこちらもチェックしてみてください!!
歴史好きのりんちゃん、あんちゃんにとって岡山城を一周したのみという昨日は、確実に不完全燃焼だったと推測していましたが、やはりそうでございました(笑)
2023年5月21日(日)9時半ごろ
ホテル出発。いざ向かうは総社にあります『鬼ノ城』へ。
子供のころには砂川公園などレジャーやバーベキューなどで行ったことを思い出しますが、ほぼ10年以上は行っていないため、ほとんど新鮮な気持ちで向かいます。
鬼ノ城についてはここでは割愛させていただきますが、りんあんちゃんのお二人の最大の目的の一つがこの鬼ノ城でした。
まずは鬼ノ城ビジターセンターで記念スタンプを押します。
駐車場やトイレもあり、中には資料館なども無料で利用できるようになっています。
朝からとってもよい天気に恵まれ、すでに汗ばむ感じです。マツコさんのブログにもありましたが、りんちゃんとあんちゃんが坂道もドンドン走って行っちゃう元気の良さ!!追いつけません(汗)
遠くに見えるのが鬼ノ城南門。
絶景スポットで撮影です。
そこから再び歩くこと数分でまず迎えてくれるのは西門があった場所にそびえる角楼と呼ばれる建造物。
詳しいことは分かっていないものの、城内の死角を補う役目として西門の防御を高めていたと推測されています。
そして、そこから少し進むと鬼ノ城を象徴する南門に到着です。
りんちゃん、あんちゃんもみな大興奮!!!
そして、この絶景です!!これを見るとこの山城の目的が簡単に理解できるほど。
これまでりんちゃん、あんちゃんが訪問した際には天気が良いと、マツコさんがおっしゃられていましたが、さすがの晴れ女ぶり全開でした(笑)
できれば隅々まで行きたいところですが、本日は超過密スケジュールのため断念。鬼ノ城はこれまでで次へ移動です。
次に向かうは、国道180号線から少し北へ入り最上稲荷の大鳥居をくぐり抜け到着。
見渡すかぎりな~んにもない、湿地帯を少し感じる場所。
ここにはむかしむかし城主・清水宗治の備中高松城があった場所です。現在は高松城址公園としてその歴史をいまに伝える場所になっており整備されています。
かつて備前・備中の国境に近く、天正10(1582)年に織田信長から中国計略の命を受けた羽柴秀吉と毛利氏が激しく攻防を繰り広げた最前線となったところ。また、この城跡は、足守川下流域の両岸に築かれた「宮路山城 みやじやまじょう」、「冠山城 かんむりやまじょう」、「加茂城 かもじょう」、「日幡城 ひばたじょう」、「松島城 まつしまじょう」、「撫川城 なつかわじょう(庭瀬城 にわせじょう)」とともに毛利氏の防衛ラインとなった「境目七城」の一つとして、備前の宇喜多氏、ひいては上方の織田勢に対する重要な城でもありました。
羽柴秀吉に黒田官兵衛(黒田如水、黒田孝高)が進言したと言われる『水攻め』という献策により、天正10年6月2日、本能寺の変を契機に急展開を迎えます。織田信長の横死を知った秀吉はただちに講和を結ぶべく、領地の譲歩や城兵の助命などを条件に毛利氏と交渉しました。6月4日に宗治が自刃することで和睦が成立し開城となります。そして、その2日後、秀吉は明智光秀を討伐するため、後に『中国大返し』と呼ばれる軍勢の大移動を行い、天下統一への道を切り開くこととなる流れとなるわけですね。
別に興味がない人にとってはただの自然豊かな公園ですが(笑)、特に豊臣秀吉好きなりんちゃん、あんちゃんにとっては大興奮の場所!!先ほどの最上稲荷の大鳥居の東側に当時羽柴(豊臣)勢が陣地していたと聞くと、通過する際にはその方向を激撮影していました(笑)
そして、次に向かうは車で10分ほどの吉備津神社。最初に行った鬼ノ城と縁のある神社です。
そのむかし、鬼ノ城にいる温羅退治のため崇神天皇は彦五十狭芹彦命 ひこいさせりひこのみことを派遣し、その陣地を吉備津神社に設けたと言われています。温羅討伐後は「吉備冠者」の名を彦五十狭芹彦命に献上し、その後、「吉備津彦命 きびつひこのみこと」と呼ばれるようになったとのこと。桃太郎の題材になったと言われていますが、文献などは残っておらず真意は不明なまま。このミステリアスさがますます人々を魅了し、言い伝えとして残ってきたのでしょうね。
吉備津神社は岡山でも有数の人気のある神社。この日も多くの方々が参拝に訪れていました。
壮大な「吉備津造り」の社殿の吉備津神社のもう一つの人気スポットがこのなが~い廻廊。
この吉備津神社に来る人は必ず撮ってしまう映えスポットの一つです!!
人が途切れるタイミングを計り一斉にチャンスを伺います。みんなこんな感じです(笑)
りんちゃん、あんちゃんが普段愛用している「BCPC KIDS ベセペセキッズ」を手掛けるボストンクラブ社のデザイナーであり当社担当のY氏は本格的!!むしろ、ちょっとヤバいかも!?(笑)
そして、もう一つは「ポケモン」!!あれっ!ついて来ないな?と思うと集中してやっていました。
そして、再び。。。全国の観光地やスポットで見かける光景の一つになっていますね。
お守りなどを販売している一角におみくじを発見!!試してみると、、、
中吉と吉。それぞれ「自」と「笑」の文字も添えられていました。パッケージもご利益がありそうな金色。
吉備津神社から山沿いに反対側に進むとあるのは吉備津彦神社。先ほどの吉備津彦命を祀っている神社です。
鳥居からまっすぐに進むとまず迎えてくれるのが拝殿。
(吉備津彦神社拝殿)
二礼二拍手一礼のもと参拝しました。
(吉備津彦神社本殿)
そして、その奥にあるのが本殿です。近くに行くこともできないため遠目から拝見しました。
この吉備津彦神社でもローアングルからのショットを狙っていますね。デザイナーであり弊社担当Y氏です。(笑)
当初の予定ではここで今回の岡山・歴史の旅は終了の予定でしたが、実はりんちゃん、あんちゃんのリクエストにより、急遽、昨日果たせなかった岡山城天守閣への入城に向かいます。そのために食事も一切取らず、怒涛の移動と完璧なまでのスピーディーでスマートなまでのアクティブさを発揮してまいりました。
再びの岡山城へ向かいます。
これまでの動き同様にに一切の減少なく、どんどん向かうは岡山城天守閣。
そして、ついに!!
令和の大改修により修復と改装が施された岡山城は、黒い外観から「烏城 うじょう」や「金烏城 きんうじょう」とも呼ばれています。地元の人は烏城と呼ぶ人が多いです。
近くに石山という地名が残っていますが、ここにあった石山城に宇喜多直家が入城し、その後、直家の子である宇喜多秀家がその城を囲むように城郭を整備し、隣接する岡山に本丸を設けたのが岡山城です。
宇喜多家は関ヶ原の戦いでは西軍についたことで八丈島に流刑され、代わって小早川秀秋が入城するが2年で急死。跡継ぎがおらず小早川家は断絶してしまいます。播磨姫路城主であった池田輝政の次男忠継に継がれ、その後は池田家が幕末まで続くことになります。
(天守閣から見える金の鯱と眼前に広がる旭川、そして、その向こうには日本三大庭園の後楽園が望めます。)
旭川からの放流川として人工的に作られた百間川 ひゃっけんがわが東側を走っていますが、その川を整備したのが岡山藩初代藩主だった池田光正。そして、その岡山藩主の補佐役だった津田永忠が手掛けたことで知られています。さらに、津田永忠は日本初であり日本最古の庶民のための学校「閑谷学校しずたにがっこう」の建築も任されていました。ちなみに、小説家である内田百閒 うちだひゃっけんの「百閒」は百間川から名付けられました。
突如、ざわめくりんちゃんとあんちゃん!!その視線の先には私筆者(岡山生まれ・岡山育ち)も知らなかった金の桃が!!
マツコさんも調べられていましたが(matsukoのオフィシャルブログ)、調べて見ると全国で6つの城に存在するようです。金の桃瓦と呼ばれ、邪気を払う縁起のよいものとして備えられているようです。私はただただ桃太郎にかけたユニークなワンポイントとして令和の大改修で付けたものかと思っていました…無知とは恥ずかしいものですね。
ちょっと脱線してしまいましたが、岡山城内は見事に文化発信拠点として、これまでの歴史の経緯や発展を数々の文化財などが展示されていました。
築城を果たした宇喜多家や小早川家、そして、岡山の町の発展の礎を作った池田家の系譜が分かりやすく展示されています。
りんちゃん、あんちゃんはおそらくほぼすべての資料をスマホに撮っていました。勉強熱心には敬服です!!
城内には当時の馬のサイズが分かる乗馬コーナーや刀や鉄砲の重さを体験できるコーナーもあり、大人から子供まで楽しみながら学べるようになっていました。
と、気づけばすでにタイムリミット間近!!岡山駅へ急行し、発車の30分前に到着。その後、岡山駅前の桃太郎像も見ることができたということです(matsukoのオフィシャルブログ)。
(写真左にいらっしゃるのは東京・銀座にありますボストンクラブ社直営店GLOSS GINZA店長M氏)
弾丸の岡山・歴史の旅となりましたりんちゃんとあんちゃん、そして、マツコさん。昨日のイベントから短い時間ではありましたが、本当にありがとうございました!!また、ボストンクラブ社のM氏とY氏もイベントの参加やアテンドの協力など誠にありがとうございました!!
最後に、りんちゃん、あんちゃん、マツコさんをはじめ、ボストンクラブ社のM氏とY氏。そして、イベント時にお越しくださいました皆さま、関係したすべての方々に心から感謝いたしております。これで最後にはしたくない気持ちでいっぱいですので、次回開催に向けて私たち岡山眼鏡店、そして、おかやまこどもメガネ展を精一杯魅力あるものにしてまいりたいと思います。
最後までご覧くださり誠にありがとうございました。
【治療用子供眼鏡の保険適用・助成金について】
2006年4月1日から9歳未満の小児の治療用眼鏡の購入について、健康保険が正式に適用されることになりました。「小児の弱視、斜視および先天白内障術後の屈折矯正の治療用として用いる眼鏡およびコンタクトレンズ」 が支給対象となります。 近視や乱視などの屈折異常のための視力補正用眼鏡は保険適用外です。 また、斜視の矯正等に用いるアイパッチおよびフレネル膜プリズムについては保険適用外となります。 医師から眼鏡装用の指示が出た場合には「健康保険の対象かどうか?」を確認していただき、対象になる場合には 書類作成や眼鏡専門店でのフレーム・レンズ選定、作成をしてください。9歳未満の被保険者が対象となり、9歳の誕生日の3日前までの指示書が有効となります。障害者総合支援法の規定に基づく補装具の種目「眼鏡(36,700円)」 「コンタクトレンズ(15,400円/1枚)」×1.06を上限とし、 実際払った金額の7割(義務教育就学前までは8割給付)が保険給付されます。また、5歳未満の小児に係る治療用眼鏡等の更新(新しく作り変えるなど)については、更新前の装着期間が1年以上あること 5歳以上の小児に係る治療用眼鏡等の更新については、更新前の装着期間が2年以上あることが条件となります。提出書類につきましては、➀健康保険被保険者家族療養費支給申請書(治療用装具、全国健康保険協会HP参照) ➁治療用眼鏡等を作成し、または、購入した際の領収書または費用の額を証する書類 ③療養担当に当たる保険医の治療用眼鏡等の作成指示等の写し ④患者様の検査結果(処方箋などの医療機関発行にもの)が必要になります。
【公費からの給付(乳幼児医療費助成など)について】
公費(乳幼児医療など)の対象のお子様の場合、購入金額と給付額の差額分についても市町村から療養費の支給を受けることができます。ただし、各市町村によって対象年齢や所得制限の有無などが異なりますので、詳しくはお住いの各自治体・子育て支援課などにお尋ねください。岡山市の場合は『岡山市医療費助成/子ども医療費助成制度 (保健福祉局保健福祉部医療助成課 医療助成係、TEL 086-803-1219)までお問い合わせください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後までお読みくださり誠にありがとうございました。
皆さまいかがでしたでしょうか?
ぜひこの機会にこれからのメガネ選び・サングラス選びのご参考にもしてみてくださいね。
当店はBCPC KIDS / ベセペセキッズ製品を安心して購入できる正規取扱店です。
度無しレンズの入れ替え・交換や度付きレンズ、遠近両用レンズなど累進レンズにも対応いたしております。
皆さまお気軽にお立ち寄りくださいませ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・